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2015年12月19日土曜日

突如、母上から【般若心経】とかいう呪文のレッスンを受ける嵌めになったんだが、、、


般  羯  多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観  摩 
若  諦  呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自  訶 
心  羯  即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在  般 
経  諦  説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩  若 
呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩  波 
波  曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行  羅 
羅    真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深  蜜 
羯    実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般  多 
提    不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若  心 
虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波  経 
   波    故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅 
   羅    説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜 
   僧    般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多 
   羯    若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時 
   諦    波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照 
   羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見 
   菩    蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五 
                          提 
                          薩  
                          婆 
                          訶 
                    

此れ、謂わんとすることは分かるけども、基本的過ぎて、有り難みが解らない。
初歩中の初歩だと思ふ。
涅槃とかニルヴァーナの領域には、入れるけども、入って抜け出せないと困る。ヤバイ。
アッチの世界から戻れないと非常に困る。

一時的な涅槃状態は無意味だと思う。後で、二日酔いの如く不快感を生ずると思う。

何が理由で作ったのか知らないけども、極限状態を体験した人間の持ちうる思考の一つの形式でしかないと思ふの。

これを解読するとか、訳した本が出回ってるけども、それの価値が分からん。1円足りとも払う気が起こらない。

金儲けかしら。それとも素人には理解出来ない高貴な思想故の出版かしら。よう分からん。

此れの謂わんとすることは、苦からの逃走かしら。死への恐怖心からの逃避かしら。

サビが結論だろうけども、イマイチ、ピンとこない。
幸、不幸とか災いとかイマイチ、感覚的にピント来ない。
無の境地は、寝ることか、死だと思うんだけども、それとも薬物使用によった精神変容のことかしら。
よう分からん。解せん。解けん。シラン。
更に梵字やヒエログリフまでカムバックさせれば意味が解けるかもしれんが、それは學者のやる仕事だわ。
シラン。興味ない。

ソウイエバ、とある施設で毎朝ベットの上で何処かしらの宗教団体の念仏唱えてる人がいたな。
収容人員に照り合わせると、その団体の信者の数は三割~四割を占めていた記憶があるな。
念仏唱えて、その意義や意味を問うこと無く、黙々と日課のように念仏唱えるのが習慣となっていた。

どうしたことだろうか。
宗教に傾倒している人程、病を起こすのか、病を起こすが故に宗教に縋るのか。分からんけども。
兎に角、オカシナ儀式を好む人には、その傾向が強いと視える。
銭を追うのも一種の宗教だけどもソレについてはシランカオ。
情報追うのも一種の宗教だけどもソレについてもシランカオ。

常同行動になるから注意。特に高齢者。何百枚も書き出す始末。
受刑者に多く見られる。写経とかいう儀式。

小難しい噺は憲法や法律の學者や専門家に任せておいて、一国民が行政から給付金や援助金や支援金などの諸制度を利用することって国から搾取するという定義に値するのかしらん。(無論、仮定としての御噺だけども・・・)

官公庁が制度として制度化され、実際に行われている、諸制度が多々あるんだけども、実際には、その制度を普通に社会人生活を行っている國民が知り得ることは、稀で有り、又、教えてくれるマスメディア等も、それ程無いと思うの。
アタチは、テレビもネットも無いから実際之ところは知らないょ。

実際に、生活に必要な物は限られており、衣食住、それと、僅かな金銭がアレば事足りるし、十二分に肉体的にも、精神的にも、充足された生活を送ることが可能である筈なのよさ。

然し、テレビやネットでも、その情報は、出回っているには出回っている筈であるが、情報量が膨大な故、判断や決断や決定を行う事が非常に困難であり、労力を必要とするものである筈なのよさ。

稼ぐには、稼ぐなりの方法があるんだけど、興味ないのよさ。
お金稼ぎに費やす時間は、損失と見做すのよさ。
たかが、一億円のために八時間費やすことは厭なのよさ。
お金に平伏したくたくのよさ。紙切れなのよさ。
幼いころ千切ったり燃やしたり八つ裂きにしてよく親から叱られたのよさ。
↑全部フィクション∧嘘だけどね¬

とまれ、前置きは此処までとしておいて、、、、

至って簡単でメイリオフォントなるものであると思うのさ。

先ずは、組織図を誰かさんが作成しているので、それを待ちつつも御噺を進めるのだが、、、、

労働者は知る時間が無い故に、こうした制度を知る機会に恵まれていない。
それが狙いかどうかは誰かさんの陰謀論めいた【空想から科学へ】の世界への領域に疾走ってしまふので省略するのだが、

まず、問題を定義してみると。。。 簡単にDEATHよ、専門家じゃないから。
初診者です(^^)



  • 子育て
  • 教育
  • 福祉
  • 雇用


これが一般国民には、非常に重要な問題だと思うのさ。

  • 子どもは国家の財産なのよさ。母親の立場になったら分かるのよさ。

  • 福祉は言うまでも無く重要なのよさ。

  • 雇用、之に関しては、若干疑問も生ずるけれども、一応、労働者として生きる外、手段ない人間もいるので重要なのよさ。

それと、労働しないと、時間の使い方を知らぬが故に、ギャンブルやアルコール等の薬物に依存して堕落する人も多いので、労働はソコソコ重要と言わざるを得ないのよさ。必要悪と云ったところかしら。 
生産力を増やすことが重要なのは、所謂、このオカシナ制度の社会に於いては、掟や戒律めいた奇妙奇天烈なモノだけども、そんなに必要ないと思うのよさ。アタチわね。 
働きたい人だけ働けば良いと思うし、働きたくない人は無理してまで働く必要は無いと思うのよさ。 
生きるために働かざるを得ないから、働いている者も多い筈なのだけども、無理して働く必要は無いと思うのよさ。だってね、身体が一番大事だからね、労働で身体と健康を損ねるなんぞ、オカシナ噺も無いと思うのよさ。時間も大事なのよさ。気がついたら定年、下手すりゃ頸切りでポイ捨てのこの状況下に置いては特に早々謂うのよさ。 
過労死とか精神疾患とかそれ故の自殺とか以ての外なのよさ。 
この問題は専門家連中が一生懸命に統計を取ったり、制作を勘考したり決議しているけれども、如何せん、SPEEDが遅いのよさ。 
それと、海外と比較しても意味ないと思うのよさ。海外は短い労働時間で、日本よりも生産力が多いけども、それは、此処では置いといて、日本だけで考えれば良いと思うのよさ。 
異国と祖国を比較するのはグローバリゼーションに於いてもナンセンスと主張したいのよさ。 
だって、だって、だって、そう思うから仕方ないもん。嫌だもん。ヤダモン。 
ネオリベとか新自由主義とか好きでないのよさ。アタチ。アタチはね。キヤイ。ダイキヤイ。

ネオリベ勢力が鬱陶しい。労力を他人に提供したくない。
効率を求めて時間や賃金を削って、競争させることはいいけども、アタチは関わりたくないの。

だから、そのようにしていゆ。
フーテンしてゆ。有閑階級というか高等遊民という身分かしら。漱石センセ曰く。

所謂、「社会貢献」とかいう言葉もあるけれども、社会貢献事態ソモソモ定義がハッキリしていない時点で、自己満足的な、自己完結的な思い込みによる、社会貢献活動が実施されている現実が、実際にあるし、又、起ころうとしている始末なのよさ。
所謂、独りよがり。ひとり上手と呼ばないで。

起業、創業したけりゃ、御金は貸しますけど、デモ利息はキッチリ取りますよ。
デモ・デモ、返す必要は無いとアタチは思うのよさ。
でも詐欺罪に該当したらイケマセン。
貸す方が悪いと思うの。見極めが甘いという時点で。返せないものは返せない。
強制執行されてもいいのよさ。ルーラできるのよさ。
場所はソノママでも。ワケワカメ。リレミト。

誰しも、社会の一員として、役に立ちたい、社会貢献したい欲望めいたものを持っているけれども、ソモソモ、それ自体、疑問に感じるのよさ。
ちょっと、それって、一般的に考えてオカシイ思考回路だと思うのよさ。
普通の人が、社会の役に立つって、傲慢だと思うのよさ。
素直に「奴隷として隷属します」なら分からんでも無いけども。
歯車になるか、ならないか、それだけだと思うのよさ。
モダン・タイムスでも観直そうかしらん。
Modern Times

マア❣ 人それぞれだけどもね・・・

シラン。一切シラン。シランモンハシラン。

社会の役に立つということは、余りにも広範囲な為、チョットやソットでは、理解し難いけれども、社会とは、所謂、国であり、国とは、政府のアイテムという構図になるのよさ。

【一億総活躍】とか謳ってるけども、意味不明なのよさ。
(検索してもいいけど、某BBS関係はヤメときなさい❣)
   (⇩こういうイカレタ思想が蔓延していゆかや⇩)
働いたら罰金    →所得税
買ったら罰金    →消費税
持ったら罰金    →固定資産税
住んだら罰金    →住民税
飲んだら罰金    →酒税
吸ったら罰金    →タバコ税
乗ったら罰金    →自動車税・ガソリン税
入ったら罰金    →入浴税
起業したら罰金   →法人税
死んだら罰金    →相続税
継いでも罰金    →相続税
上げたら罰金    →贈与税
貰っても罰金    →贈与税
生きてるだけで罰金 →住民税
若いと罰金     →年金
老けても罰金    →介護保険料
老いたら罰金    →後期高齢者 
 
働かなかったら賞金 →生活保護 


政府が必要としているものは国家予算であり、簡単に言ふのであれば税金なのよさ。
御金、銭、金銭、ギル、ゴールド、こういったものなのよさ。$でもいいかもしれんが外資はシラン。興味ない。FXとか知りません。フェックス。KAWASAKIのZ400FXは知っています。通称:鉄馬です(^^) 重いのよさ。ハンドリングが。。。兎角重い。

税金を納めれば、納めるほど、優遇される筈だろうし、特権階級にヘーゲル式にアウフヘーベンすることも出来るのよさ。
ツマルトコロ、銭で買えるのよさ。
ヒエラルキーの上の方の階級は。
上級国民になれゆのよさ。
興味は無いけども。

だって、カッコ悪いもの。
上級、上流、特権、なんてアタチはキヤイ。
天皇皇后両陛下、皇族樣樣は好きなのよさ。←ココ勘違いしないでよね。


天皇皇后両陛下、皇族樣樣階級は全くの別問題デスヨ
(ココ非常に重要❣❣❣❣❣)

あくまでもノーマルがいいの。アブノーマルはキヤイ。
だって、だって、だって、だってなんだもん。





ツマ
アルト

ナイ
ナイ

アル
アル

ナイト
ナイ

アルトコ

ナイトコ

コトイナコトルア

何処だろう

埋蔵金かしら

宝籤かしら

ソレは

解りませぬ





阿呆や戯けや畜生や鬼畜は法を犯すし、人をも犯すから嫌悪感剥き出しだわさ。

死刑!処刑!粛清!磔刑!磔獄門!市中引き回し!
ギロチン!チョッキンパ!パックンチョ!

犯罪は絶対イケマセン。脱税も絶対イケマセン。脱法行為もイケマセン。
お天道様に叱られます。ゼウスもヤハウェもイエスもモーセもアブラハムもシッダールタもユピテルも八百万の神々も誰しもが怒ります。罰が当たります。地獄行きです。

法治国家ですから、法を犯すことは絶対に駄目です。
民主主義国家ということも忘れないで下さい。
建前上だけの民主主義国家の可能性も多いにある可能性はあるにはあるかもしれませんけども私はシリマセン。社会主義国家とも言う香具師いますが事実は解りませぬ。堪忍。
又、現政権を批判したこともなければ、所謂、傀儡政権だとも思ったことなどモットーも御座いませぬ。

六法全書もオモシロイけども、ジュネーブ出身の奇人変人露出狂の変質者であるけれども、民主主義の主要キャラとして見做されている筈の「ジャン・ジャック・ルソー」さんの書物オモシロイよ。新右衛門さん似の人。

時間ないなら、官公庁、行政機関☎凸

モウ、言うこと無い。
コレで理解出来ないなら、モウ、チョメチョメは目前だ。
腹減ったし、亞北ネル。さて、朝御飯を食べよう。

                  <`イ'>    ,.-'"⌒``ヽ
                 _,.,,.-‐-,,,> ソ_   /: : : : : : : : : ヽ
            _,,.'': : : : :彡ノヾ: ``ヽ_」: : : : : : : : : : :ヽ
            ノ: : : : : : : :: : : : : : : : :ミミ: : : :_,, : : : : : : ヽ    
         ,,.-''": : : : : : : : : : : : : : : : : :ミミ: ,r 、 :ヾ: : : : : i 
        : i`: : : : : :∧: : : : : : }ヽ: : : : : : :ソ  } : : : : : : : i
           i: : : : i : ,' ',: : ',: : : i ヽ: : : ,: :i ii  i : : : : : : : i
           i: : : :ii: :,'=ェ, ',:: ', : : i ,ェ=i: :}i: : : } .i : : : : : : : :i
           i/i: :ソi: :i_、、.ミヾ: :', : i ,、、',: :i :i: ハi i : : : : : : : :i
        i:,イ: :i:i{ i{ (℃ヽ\ヾi"(℃} i: :i:ハi i: : : : : : : : :i
        .,ノ ',: :',':',i `;;;-''   , ヽi'';;;''"i:i : ii ii i: : : : : : : : :i
        ゙  ヽ: : : :',    ″   ノ:ノ::/`  i: : : : : : : : :i
          ヽ: : ::',\  ⌒  ///   i: : : : : : : : : i
            ヽ: : ',ヾ` ‐-‐''"<ミ<     i: : : : : : : : : i
             ヾ∨i    い`     i: : : : : : : : : ii
            亞北ネル [あきたねる]
              (1990~ 日本)






2015年12月18日金曜日

童謡とわらべ歌/歌詞付き

只今、母上様からイチャモンのテレフォン来た^^;

メールを返信したのに、メールが来てないというイチャモン。
堪忍して超変化。

母上様。堪忍。

この名曲はスゴすぎる。
一休禅師の真実が隠されとる。コリャまた怖い。



ディスカスという名の名目のもとに(@_@)

ケインズとかいう香具師はタブーを超越したディスカスをケンブリッジ大とかいうトアル施設で行うことを嗜好の一つとしていたらしいが、割れ割れ、東洋人には、その必要性は無いと感じた。
ツーといえばカー。ああ言えばこう言う。シランプリ。関係ない。シランカオ。
言わしておけ、言わしておけ、聞くが花、聞くが花。
菊は花。菊は花。

テレパシー。ホメオパシー。テレポーテーション。チャクラ。何でも御座れ。

愚者が述べ、賢者は聴き入り、智者はシランプリ、僧侶は恰も把握した面持ちで得たり顔、武闘家は混乱しつつも必死にコツコツ作業をすゝめ、遊び人がカミュの異邦人夜露死苦狂言カタルシス感じるだけ感じて、最後に持っていくは矢張り、資本主義精神の権化のシーフと為して、これ如何と問わんとせんか。

因みに、吾輩の弟姉妹子孫一行は、皆、賢者である故に、苦悩が絶えない。
それが喜びでもあり、マゾッホとサドのサラブレットの如くなりけれど、マスクは皆一様に良い。マスクはマスクでも鉄仮面と鉄兜の差異と反復の如くなりケレドモ、一行に引く余地は無い。ただ、匍匐(ほふく)前進恍惚と進んで行っているべし。



エピキュリアンやってる自分は嫌悪感で苦悩に自害を勘考すること稀にありて危険ナリ。
ストイック故のエピキュリアンだけども、エピキュリアンの先にあるものは、ダンマリ極め込むに限る。
真相は隠すに限る。でなきゃ、成り立たん。

何事も見猿聞か猿言わ猿理論で最後に美味しいとこ戴くのが割れ割れの宿命でもあり、運命でもあり、それが何千年前から決められていた事実なのでちゅ。

唯、シコメに扱き使われるイケメンの彼には、一目も百目も敬意と尊敬の念を抱かねばならぬ。持ちつ持たれつ、ヤラレヤリつつ、一致団結理論の妄想何処までも止まらない。

醜女の深情けというチャップリンの映画もあるけど、面白いよ(・∀・)


「愚者は喋り、賢者は聞くという、言わぬが花だ」 By 古谷惣吉

デモ、多く喋る事は、真実を包み隠す手段の一つであるが故、多くを語るものは、多くを得る事も否定出来ない。

ただ、割れ割れが感じ入るのは、いつになったらアリアハンから勇者が出てくるのか、それだけだわ。

「人間が想像できることは全て実現可能」とは、誰かさんの御言葉だけども、早く、その時が来て欲しいものだわ。修正主義者はDEATHデス。

これ、儂の親戚の親戚の兄弟の弟の姉妹の妹の祖母の祖父の従兄弟の姉妹の弟の兄弟の映画。オモロイよ。ドリフターズの原点。

あゝ、あゝ、あゝ、







あとは、儂の✍。




今日、電車の中で御高齢の淑女と会話したんだが。。。

未だにサバ読みよる。
女性は強い。

勝てん。

知識人なり故、意見を参照してみたところ、あんた若いから「親孝行できるだけ幸せだがね」とのこと。


尚、他の乗客はダンマリ決め込み、其れ迄五月蠅かった支那人もダンマリ決め込む始末。

こちらの方言は破壊力がある可能性がある。

「ダーツーね、その帽子。」


この一言が電車内の時を止めた。


その淑女曰く、タダで、入れる御風呂があるらしい。
行ってみるに越したことはない。

あぁ、得した気分。


高齢者ほど、隠し事の多い、賢者はおらんと視える。

尚、尋常小学校教諭が祖母におるよ、と伝えたらダンマリ決め込んだ・・・

怒りを覚醒させると危険だから、そのままスルーしておいた。



尚、支那人、途中下車する始末。ガクブルまでしている始末。

アイツラの言葉好きの反対の反対の反対の正面誰だ❣❣❣


平成27年に於ける紙幣の人物像についちぇの(ry

壱万円札


福沢諭吉

レビュー

西洋文明を取り入れ文明開化を必死に狂人の如く活動力と行動力を持ってして、一所懸命に主張した偉人でもある。著作は数知れず。青空文庫で探すべし。特に「學問のすゝめ」よりも、「自伝」が重要である。詳細はシラン。

尚、アル中、ニコチン中毒でもある。
言い方を変えれば、酒を嗜むイケメン、キセルを蒸かすイケメンでもある。
これ又、マイスタージンガーの一人でもある。
詳細はググレカス


伍壱阡札


樋口一葉

レビュー

結核を患い弐拾代前半で深い眠りに就かれた。
質屋通いが日課であり、その暇に「たけくらべ」、「にごりえ」、「十三夜」など女性独自の、嫉妬、妬み、ヤッカミをテーマにした文学作品を刊行した。
詳細はググレカス。青空文庫山椒。十三夜から窺われることは、(ry
青空文庫をヤフーでググれカス。

壱阡円札


野口英世

レビュー

銭に苦労しながらも、アリトアラユルところから銭をセビリ、研究に研究を重ねたチン○ラ研究者であり、ノーベル賞を貰えなかったことが唯一の評価できるポイントでもあり、尊重すべし事実である。尚詳細は(ry
評価に関しては多数ある故、自分で判断しやがれ。ググレカス。

2015年12月17日木曜日

好きなの

Avira - Antivirus made in Germany

Download Avira Free Antivirus | Official Website 日本語Ver

Spybot - Search & Destroy Anti-malware & Antivirus Software

SpywareBlaster - BrightFort


  • SpywareBlaster customblocking list
http://koti.mbnet.fi/pattaya1/swb3.htm
  • customblocking.txt
http://koti.mbnet.fi/pattaya1/customblocking.txt 

SUPERAntiSpyware | Remove Malware | Remove Spyware - AntiMalware, AntiSpyware, AntiAdware!

Javaリファレンス⇒Javaドツメンツ

Java SE ドキュメント 概要

Java Platform SE 6

JavaTM Platform, Standard Edition 6 API 仕様


Java Platform SE 7

Java™ Platform, Standard Edition 7 API 仕様

http://docs.oracle.com/javase/jp/7/api/

Java Platform Standard Edition 7 ドキュメント

Java Platform SE 8

Java(tm) Platform, Standard Edition 8 API仕様

 http://docs.oracle.com/javase/jp/8/api/

Java Platform Standard Edition 8ドキュメント


 翻訳マダァ-?
(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン

と思ったらあった。リンク修正しやがれ❣❣❣


高橋 麻奈 
 1971年東京生まれ。東京大学経済学部卒業 (「BOOK著者紹介情報」より)

やさしいJava 第5版 (「やさしい」シリーズ)
カスタマーレビュー

かなり解り難いわ。というか、基本過ぎてツマラン。ウェブで拾った方がマシだろうに。。。

変数名で「ガソリン」とか「車」とか「ナンバー」とか、いい加減にしてくれ!!!

大体、たかが、「20.5リットル」のガソリンでスポーツカーがどれ位走行出来ると思っとるんだ。

時代は、軽四だろうに。若しくは、車所有しないのが一番だろう。

レンタカー、若しくは、ハイヤー乗るのが一番イイよ^^
税金なんて払うだけ損だよん❂❂❂

 脱税は駄目だけどね
下卑た内容すぎて頭の中がオカシクなりそうだわ。脳内出血起こしそう。

ソレトナク「働いて車買えよ」というメッセージが込められとるような気がして、洗脳されとるような厭な感じだわ。

パーマンになりそう。


こんな御粗末な内容で出版しないでもらいたいところだが、大きな権力が絡んでいることは疑いようもない事実なので此処ではピノコはシランプリ決めゆのさ

専門的な用語をシッカリと説明や記述してない時点で、初めてプログラム始めようかと思いついて、読む人間に、とったら多大なる膨大なる時間と労力の大損なる被害になりかねん。

応用技術がまるで書いてないけど、これでは、意味を為さんだろうに。


Web上にあるSourceやドキュメントの劣悪な解説・訳本のテキストを書籍化するのってアリなの?
恥を知ってもらいたい。 誰でも書ける内容だと思います。
プライドある人間は敢えて、書籍として出版しないだけで。。。
青空文庫にでもうpしやがれ!!!

あらマア!実在する使徒なのね。
御免遊ばせ〆
ニフでこの垢名に付け方からして古参の人間とは思うんだけど、もうチビっとだけ、解りやすく解説してくださいな。幼稚園児や小学校低学年じゃあるまいし。。。



高橋麻奈 Mana Takahashi


高橋麻奈(書籍)
http://homepage3.nifty.com/~mana/books.html



2015年12月16日水曜日

FastCopy

Android Developers

Android Developers

http://developer.android.com/

Android Open Source Project

https://source.android.com/

Developer Collaboration Project


今日、セブンイレブンにて、初の白色人種を発見せしり。

どこの人間かは知らんが、今までは、東南アジア~東の國の人達が多かったけども、ついに、白色人種までセブンイレブンでレジ打ちするようになったんだなぁと感慨深く心に思ふた。

まぁ、いいんだけどもね。
自分は、ファミマが一番好きだわ。ローソン、◎K。デイリーストアも好きだけど最近見ないなぁ。
ココストアとかも好きだけどね。


チップやると喜ぶのは、男。
チップやると屈辱的に感じるのは某国の女性。

んでも、一番、チップやって喜ぶのは、日本人だけどね。



しかも、知らん顔して、惚けたフリして、人の銭、取ってく、その姿には神様もお天道様も怒りやしないだろう。

可愛さがある。

銭、持っとると公言しとる人間に限って、盗人精神が長けとると視える。

どうでもいいが、チップくらいやれよ。彼らは日本人に虐げられとる存在だわ。
分からんけどね。実際のところは。
チップの件に関しては、社則で受け取るなと決まっとるのかしら。
それも売上に計上するとかナントカイミフな社則があるのかしら。

チップ渡した人からは、色々なものがタダで沢山もらえるし、情報もいっぱいくれゆのよ。

チップといっても、釣りはイラン、釣りは受け取ってちょう。この次元のレベルだけどもの。

ドミノさんには勝てんだろうに。
ヴァージネリーさんには尚更のこと勝てん。

MAX / TORA TORA TORA


Domino - Tora Tora Tora

 

名札(ネームプレート)をぶら下げているリーマンを良く見かけるがナニアレ???ソレトナク隠せよ!

滑稽の極みとしか言いようが無い。

アレは駄目だろうに。常識的に考えて。
会社員の立場にもなってやってくだしゃい。

ただ、脳が麻痺しとるかどうか定かではないが、アレを誇らしげに首からブラ下げている香具師も多いから注意すべし。

彼らには、羞恥心は愚か、人間としてのラディカルな心の病が垣間見えると見える。

首輪されとるのに何の疑問も感じることの出来ない、イチシャカイジン。

鉄の足枷だわなぁ。。。
弁護士のボタン、暴力団員のボタン、これらに値する。

パソコンを使い始めたばかりの時、周りから白い目で見られた。スマートフォンを使い始めた時も同じく周囲から白い目で見られた。

それが、今では、使えるのが社会人としての一般常識にまでなっているのだから、パンピー老害の先行きを見る目や、その価値観には一見も百見も驚愕するものがある。

パソコソが流行りだした時、パソコソやプログラミングやダウソが趣味だと言うと異邦人の様なファリサイ派の如く、罵られ、薄汚い目で見られ、薄気味悪い扱いを、それとなく受けた。
うしろ髪ひかれ隊な気分だ。




スマートフォン(Android)が流行りだした時、電車内でピコピコしてると気味悪そうな目で見られた。
Google使うことが変人と見做された時期もあった。
Yahoo!JapanはGoogleの検索エンジン使ってるのに、何が言いたいのか良く分からなかった。
Yahoo.comはよく分からんが、JPに限って謂えば、広告多すぎだし、元ディレクトリ型検索エンジン故、信頼性に欠けるとは言い過ぎかしら。
銭出せば、カテゴリ登録され、検索上位に来るような、そんな遠い昔の御話だけども。
ところで、なまずはどうなった?


root取ることが、マニアックな行為と見做された。
キャリアで携帯電話作らなければ駄目だという風潮も未だ根強い。

それが今では、電車内では七割くらいの人間がピコピコ、一生懸命になって課金制の【パズルゲーム】をやっている(核爆)

パズルゲームをやるメリットが分からん。課金するとは以ての外だ。鬼畜の所存。

パソコソでは、ナニしてるのかは知らないが、兎に角、情報格差が際立って目立つようになってきた次第だわ。
白ロムとかSIMフリーの流れは止められないだろうし、ワザワザ、キャリアモバイルに固執する必要性もないと思うんだが、如何せん、彼らを牛耳るのはマスコミであり、周囲の人間に同調するということなのだから、何ともすることが出来ない。

しかも、未だに、デジタルコンテンツ(今回はCDね。)に銭を落としている香具師がいるらしい。。。。。
世も末とは、まさにこの事。
まさにフェティシズムの領域。物神崇拝(Fetischismus)


時代錯誤も甚だしいとは思わんかね。ワトソン君。

ただ、割れには手を出すなよ。

今は、情弱では、付いて行けないほどウィルシがパケされとる。
気をつけ給え。

うp厨によるレンタル or ストックしてあるイメージファイル→EAC→wav&cue or flac&cue→ダウソ

これでいいじゃないの。mp3やAACやm4aでは満足イカぬ。
可逆圧縮形式でなければ、許せれん。
糞ニーさんから、ハイレゾとかいう企画出たけど、何処がどう違うのか、まだ、未体験故、感想述べることできないこと堪忍してちょうょ。

人間の聴覚で感じることの出来る、音の周波は決まってると思うの。
これを言い出したら、ラメーのmp3だって良いじゃないの。って噺になるけれども、どうも、mp3は昔から好きじゃないわ。
ラメーでの縁故は好きだけどね。
LAMEのmp3は好きだが、aさんの縁故したものしか認めたくない。

.――――-、
 ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、 
  | |  (・)。(・)|  
  | |@_,.--、_,>  
  ヽヽ___ノ              の巻,.――――-、


EAC音ズレには気をつけて!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
プレクスターだけが真実なのは、今も昔も変わらぬ真実かしら。


國により著作権法が違う故、勘考してアクセスしなさい。

ストリーミング放送を普通に視聴するのと、ダウソするのでは、どこが違うのか素人の自分にはサッパリ分からん。

ストリーミングもキャッシュやテンプに貯めこんどる時点で同じじゃないのかしらん。
ダウソできんものなど無いと思うんだが。あるかしら。ないかしら。吾輩は70GBのHDD故、ダウソも碌に出来んのだが...

ただ、著作権物のうpやダウソは某国では違法行為となっているため、そこの住民は然と某国なりの法律を順守しなさい。

まぁ、デジタルコンテンツで銭儲けする香具師一行が諸悪の根源だと思うけどね。
作者樣にも幾らかは入るだろうが、いつまでも、権利を主張しすぎ。

特に、変な翻訳しか出来ない、某女性翻訳家のアポトーシス。罰が当たればいい。
 

まだまだいる?! 音楽を聞くとき「CD」を買う人は約6割「特典目当て」「データより買った感が味わえる」 | ニコニコニュース

 http://news.nicovideo.jp/watch/nw1940107

中高年 闘いの日々 (元「中高年失業中日記」) 二日分一挙掲載◆SE、PGを目指している方々へ。

http://ikutashiba.blog90.fc2.com/blog-entry-628.html

 ◆SE、PGを目指している方々へ。

 やめとけやめとけ! 職歴30年の私が忠告する。ろくでもない仕事だ。給料は安い上に仕事はきつ い。世間にゃあまり出てこないけど、身体壊したり頭がおかしくなるなんて全然珍しくない業界。使えない人間と判断されたらく、すぐにバツ点付けられて最悪 はポイされる。36協定なんてあってないようなもので、アホほど残業せにゃならん。私みたいに50過ぎても終電帰りの生活だよ。まともな人間の生活をした けりゃSEやPGなんて目指しちゃダメだ。もっとまともな仕事が世の中にはわんさとある。
 SEやPGを目指す人の多くはプログラムを作るのが面 白いからっていう人が多いのではないか。私も最初の動機はそうだった。自分で作ったものが動く。それはそれで面白いものだ。だが、個人で作るのと会社に 入って作るのとでは大違いである。いや全くの別物と思った方がいい。顧客の無理難題に悩まされ、少ない予算に収まるものをムチャクチャなスケジュールで無 理矢理作り出す。そしてそれは必ず正しく動かなければならないのだが、その「正しい」という基準は顧客の考えが基準であり作る側の基準などないに等しい。 人道としてこうあるべきだと思える仕様であっても、顧客のお気に召さなければクズ同様である。言われたとおりに作りはしたものの、顧客の気紛れで変更なん て日常茶飯事だ。
 そしてすぐに、自分はこんなシステムやプログラムが作りたかったわけではないと思い始める。周りからああしろこうしろ、こう動 くように作れ、こんな作りじゃダメだ、趣味で作るもんじゃないんだぞ、などと散々洗脳され、楽しかったはずのことが、いつの間にかそういう対象とは見れな くなり、ただただ工期に追われ、予算に縛られて、何とかその枠に収まるものを作るだけにひたすらその身を捧げるようになってしまう。そうなるともう最初の 頃に思っていたことからは完全に離れてしまい、いったいどうして自分はこんな訳のわからないことに追い掛け回されなければならないのかと考え始める。そこ にはもうプログラミングだとか、仕組みを考えるといったワクワク感など微塵も存在しない。我慢して作りたくもないものを作り続けるか、きっぱり辞めるかの どちらかだ。

 そもそもプログラムやシステムを作りたいのであれば、SEだのPGになる必要などない。自分が思っているものを作りたいの ならなおさらだ。昔と違って、今では個人レベルで十分な開発環境を構築することができる。そこそこハイスペックのPCがあれば十分だ。開発環境は今じゃほ とんどがフリーだ。例えば今流行りのスマホアプリの開発環境であるAndroidだってフリーだ。JAVAにしたってフリーだ。ダウンロードしてインス トールしてやれば、そのPCはもう立派な開発マシンだ。RDBMSだってフリーのものがゴロゴロしている。MYSQLやSQLSERVERのフリー版で事 足りる。その気になりゃあサーバーだって構築できる。資金に余力があるのなら、MS系の言語環境も手に入れられる。何も好き好んで作りたくもないシステム を作るために企業に入ることはない。まっとうな仕事をしながら自分の作りたいものを作ればいい。それで「プログラムやシステムを作りたい」という欲望は十 分満たされる。灰人になったり頭や体をボロボロにすることもない。
 会社に入らなければテクニックやノウハウを手にできないと考えている人もいる だろうが、はっきり言って大したものではない。確かに超一流の大手開発企業ならば相応の技術を持っているが、中小零細企業などは特別なものなど持ってはい ない。わからないことが出てきたら市販の本やネットで調べているのだ。個人でやるのと大して変わらんのである。今じゃネットに様々なフォーラムの類があ る。そこで検索し、自分で試行錯誤しながらやっていくのだ。企業に入ったからといって楽して物が作られるわけではない。同じことをせねばならないのなら、 自分で好き勝手にやれる方が断然面白いと思う。
 もう一度言うが、SEやPGなんて、やめとけやめとけ! 定年まできちんとした仕事をしたいのな ら尚更やめておけ。35歳限解説が今でもまことしやかに囁かれている。35歳というのは少々実状と合っていないが、それでも普通は45を過ぎたら仕事は激 減し、SEレベルのことしかできないのであれば、格好のリストラ対象となるか、あっさりポイされるかである。
「そんなこと言って、お前は毎晩終電でなければ帰れないほど働いているではないか」と言われそうだが、私のようなパターンは珍しい部類だと思う。ブラックではないが、一歩間違えればブラックと化すグレー企業に入ると、安月給でしこたまこき使われるのである。
 私がしているこんな生活をしたいか? 私にしたって定年まで今の仕事が続けられるとは到底思えない。時期が来たらバッサリと切られる可能性が非常に高い。SEやPGといった、つぶしの効かない職種は、その世界からお払い箱にされると、次を見つけるのが極めて困難である。

  ここまで書いても、なおだSEやPGを目指すというのなら、これだけは忠告しておこう。中小零細の開発会社もどきにだけは絶対に入るな! 特に技術者を派 遣(一人一月ナンボで売る)するのが主である会社にも絶対に入るな。やたらベンチャーを強調する会社にも入るな! ブラック企業など論外だ。目指すなら大 手開発企業に入れ。もしくは大きな会社の社内SEを目指せ! それがダメならやめておきな。

 ちなみに(まずまずあり得ないが)もし私の 娘がトチ狂って「SEになる」なんて言い出したら、絶対に阻止する。何が何でも阻止する。どんな手を使っても阻止する。死んでも阻止する! 就職難のご時 世であることは重々承知しているが、こんな職種につかせるくらいなら、家で花嫁修業させた方がいい。もちろん婿さんがSEというのも絶対NGだ。私の嫁さ んの二の舞いにさせることなど絶対にさせない。娘には絶対に人間らしい生活をして欲しいのである。



 以上、今回は二日分を一挙掲載させて頂いた。ダラダラ長文を読んで頂き、ありがとう。
 現在12月4日水曜日午前2時を回ったところだ。さすがにもう寝る。限界である。皆さんお疲れ様でした。おやすみ、フレンズ。

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2015年12月15日火曜日

アダム・スミス 国富論ゟ~

「おおかたの人間の理解力というものは、かれらが従っている日常の仕事によって必然的に形成される。

その全生涯を単純な作業に費やす人は・・・神の創り給うた人間としてさる下がれるかぎり愚かになり、無知になる。」


資 本の利潤とは、ある特定の種類の労働、すなわる監督し指揮する労働の賃金にたいする別名にすぎない、と考える人があるかもしれない。けれども利潤は、賃金 とはぜんぜんちがったものであり、まったく異なった原理によって規定されるものであって、監督し指揮するというこの想像上の労働の量や辛さや創意とは、少 しも比例するものではない。
利潤は、用いられる資本の価値によってまったく規制され、この資本の大きさに比例して、大きくもなれば小さくもなるのである。


人 はだれでも、自分自身の持っている元本から収入を引き出す場合には、それを自分の労働からか、自分の資本からか、自分の土地からか、このどれかから引き出 さなければならない。労働から引き出される収入は、賃金とよばれる。資本から、それを管理または使用する人によって引き出される収入は、利潤とよばれる。 自分では資本を使用しないで、それを他人に貸し付ける人がその資本から引き出す収入は、利子または貨幣の使用料とよばれる。
(略)すべて土地から生じる収入は地代とよばれ、地主に帰属する。


し たがって、賃金で生活する人々にたいする需要は、あらゆる国の収入と資本が増加するにつれて必然的に増加するのであって、それなしにはとうてい増加しえな い。収入と資本の増加は国民の富の増加である。それゆえ、賃金で生活する人々にたいする需要は、国民の富が増加するにつれて自然に増加するのであって、そ れなしにはとうてい増加しえないのである。


「利子、または貨幣の使用料」
これは、借手が貸手に支払うものであり、借手が その貨幣の使用によって儲けることのできる利潤にたいする報償である。その利潤の一部は、危険をおかし面倒をいとわないで貨幣を使用する借手にとうぜん帰 属する。また他の一部は、借手にたいしてこうした利潤を儲ける機会をあたえる貸手に帰属する。利子はつねに派生的な収入であって、もしも貨幣の使用によっ てあげられる利潤のなかから支払われなければ、かならず他のある収入源泉から支払われなければならない。


もし親方たちが、理性と人間性の命じるところつねに目をかたむけようとするなら、かれらは自分たちの多数の職人の働きを鼓舞するよりも、むしろそれを適度に加減させることがしばしば必要となる。
恒常的に仕事ができるように適度に働く人が、自分の健康を最大限に保持するばかりか、年間をつうじて最大量の仕事をやりとげるということが、あらゆる種類の職業において見出される、と私は信じている。


豊かな労働の報酬は、富の増大の結果であるが、同じくまた、人々の増加の原因でもある。


お そらくここで注目に値することは、労働貧民の状態、すなわち大多数の人民の状態が最も幸福で最も快適であるように思われるのは、社会が富をとことんまで獲 得しつくしたときよりも、むしろ富のいっそうの獲得をめざして前進している発展的状態にあるときであるということである。


職人は、出来高払で豊かな報酬を受けると働きすぎになって、数年のあいだに健康を破壊しがちにさえなるものである。


[利潤の高さは富の大きさに依存し、資本の増加は利潤を低下させる傾向がある。]

多数の富裕な承認の資本が同一事業にふりむけられるとき、かれら相互の競争は自然にその利潤を利き下げる傾向がある。


どんな国においても、通常の市場利子率が変動するのをみると、資本の通常利潤もともに変動しているにちがいない、と確信してもよい。すなわち、前者が下がると後者も下がり、前者が上がると後者も上がるにちがいない、と確信してよいのである。


[富の大きさまたは資本の増加がかならずしも利潤の低下を意味しない場合もあり、また資本の現象が利潤を引き上げる場合もある。]


大きい資本は、たとえ小さい利潤しかあげていなくても、一般に、大きい利潤をあげる小さい資本よりも急速に増加する。


金が金を生む、という諺がある。金というものは、わずかでも手に入れておけば、もっと多くが手に入りやすいものである。ただ、ひどくむずかしいのはそのわずかを手にすることにある。



[富めるだけ富んでしまった国では賃金も利潤も非常に低い]
一 国の国土によって維持され、またその国の資本によって雇用される程度以上ぬ人々が満ちあふれている国では、職業をもとめる競争が必然的に激しくて、そのた めに労働のチン議運は労働者の数をやっと維持するにたるところまで引き下げられるであろう。またその国は、すでに人々が満ちあふれているのであるから、労 働者の数はけっしてそれ以上増加するはずもないのだろう。その国で営まれるべきすべての事業に比して資本がありあまる国では、事業の性質と規模がゆるすか ぎり、大量の資本がすべての個々の部門で用いられるだろう。それゆえ競争はいたるところで激しくなるだろうし、また、その結果、通常の利潤はぎりぎりまで 低くなるだろう。



長期の従弟修行という制度には、青年を勤勉にしたてあげるという効果はない。
出来高払で仕事を する職人は、勤勉に働けば働くほど儲かるから、どうしても勤勉になる。従弟の場合は、勤勉になったところで直接なんの儲けにもならないから、怠けがちにな り、また事実たいてい怠けるのである。つまらない仕事では、労働の楽しみはもっぱら労働の報酬にある。その楽しみを最もはやく受け取れる状態になる人は、 それを味わうことに最もはやく思いをめぐらし、そしれまた勤勉の習慣をはやく身につけがちである。若い人は、長いあいだその労働からなんの利益も受けない でいると、労働に嫌悪の情をいだくのが自然である。



賃金および利潤が高いか低いかは、価格の高低の原因であるが、地代が高いか低いかはその結果である。



[賃金と利潤は価格の原因であり、地代は価格の結果である]


食に次いで、衣と住とが人間の二大欲望である。


食物にたいする欲望は、だれでもその胃の腑の容量に限りがあり、それに制限されるが、しかし建物、衣服、馬車一式、家具付器等の便益品や装飾品にかんする欲望には、一定の限度もなければ限界もないように思われる。


[土地の通常の市場価格はどこでも通常の市場利子率に依存している]

承認の資本は、ある地方の余剰生産物を他の地方のそれと交換し、こうしてこの両地方の産業を刺激し、両地方の暮らしを豊かにする。


・一般民衆のあいだに飲酒を好む傾向が広く生じるのは、居酒屋の数が多いからではない。そうではなくて、じつは他の原因から生じる飲酒癖のために、必然的に居酒屋の数が多くなって繁昌するのである。



・資本が用いられるすべての方法のうちで、農業に用いられるのは、社会にとってこのうえなく有利である。


・資本は、国内に留まっているものもあれば、そうでないものもある。国内に留まっている点からみて、農業、製造業および貿易業の順で資本を投下するのが国にとって有利である。


・卸売業には、国内商業、直接外国貿易、中継貿易の三つがある。このうち国内商業に用いられる資本が最も多くの生産的労働を雇用する。


・あらゆる国の富と、富に依存するかぎりでの国力とは、年々の生産物の価値、すなわち、いっさいの租税が終局的に支払われるもととなるはずの基金に、つねに比例するにちがいない。


・ あらゆる国の政治経済学の偉大な目標は、この国の富と力を増大させることにある。だから、その目標としては、国内商業よりも消費物の外国貿易を、またはこ の二つのどれよりも中継貿易うぃ、優先させたり特別に奨励したりすべきではない。また、消費物の外国貿易と中継貿易という二つの水路のどれにも、この国の 資本のうち自然にそこへ流入する分以上のものを、強制したり誘引したりすべきではないのである。けれども、こうしたさまざまな貿易部門は、そのどれも。制 限や暴力なしに事物の自然の成行きによってもたらせたものであるならば、これは有利なことであるばかりか必要であり避けがたいことでもある。


・沿海の地域一帯や、すべての航行可能な河川の沿岸が産業にとって有利な位置にあるというのは、これらの地方では、そのような余剰を輸出し、その地でもっと需要される他のものと交換することを容易にするという理由にもっぱらよるものである。


・その国の生産的労働と年々の生産物の価値とを維持するためには、消費物の最も迂回的な外国貿易も、場合によっては、最も直接的な外国貿易と同じくらい必要なこともありうるのである。


・ 国内商業の大きさと、それに用いられる資本の大きさとは、その国内で、たがいにそれぞれの生産物を交換する必要のあるすべての遠隔地方の余剰生産物の価値 をによって必然的に制限される。消費物の外国貿易の大きさは、その国全体の余剰生産物の価値と、それで購買されるものの価値とによって必然的に制限され る。さらにまた中継貿易の大きさは、世界中のさまざまな国の余剰生産物の価値によって必然的に制限される。だから、その可能な大きさは、前の二つのそれに 比して無限といってよく、最大の資本を吸収できるのである。



・大地を耕すことはそもそも人間本来の使命であったから、人間はその生活史のあらゆる段階を通じて、とくにこの原始的な職業を愛好しているように思われる。


・ 大資本家に生まれついた者には、たとえかれが生来の節約家であるとしても、かかる緻密な注意を行きわたらせることは、まずほとんど不可能である。そういう 人の境遇は、当然のことながら、かれにとってほとんど必要のない利潤などに注意を向けさせるよりも、むしろ、かれの好みを満足させる奢侈装飾のたぐいに注 意を払うような気になるものである。


・奴隷の仕事というものは、一見したところ、かれらの生活費だけ出せばよいように見えて、そ の実、結局もっとも高くつくことを明示していると思う。財産を取得できない人間は、できるだけたくさん食べ、できるだけ少ししか働かないことだけを考え、 ほかにはなんの関心も示さないものである。奴隷の生活資料をまかなうのに十分な量を超えて、さらに仕事をさせるということは、ただ力づくでのみできるので あって、奴隷がすすんで働くなどということはない。


・人間には自尊心があるので、威張ることが好きである。したがって、目下の者 を説得するために自分が下手に出なければならないということほど、人に屈辱感を与えるものはない。それゆえ、法律が許し、また仕事の性質上も差支えないな らば、人は一般に、自由人よりも奴隷を使うを好むであろう。

マキャベリ 君主論ゟ~

・加害行為は一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけで人の憾みを買わずにすむ。これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない。


・君主はなによりも自分の臣下と起居を共にして、よきにつけあしきにつけ、突発的な事態によって自分の行動が左右されないようにしておかなくてはいけない。


・人間というものは、危害を加えられると信じた人から恩恵を受けると、恩恵を与えてくれた人に、より以上の恩義を感じるものだ。


・君主は民衆を見方につけなければならない。


・人間というものは、その本性から、恩恵を受けても恩恵をほどこしてもやはり、恩義を感じるものである。


・ 何ごとにつけても善い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々の中にあって、破滅せざるをえない。したがって、自分の身を守ろうとする君主は、よ くない人間にもなれることを習い覚える必要がある。そしてこの態度を、必要に応じて使ったり使わなかったりしなくてはならない。


・現代にあっても、わたしたちが見聞したところでは、大事業はすべて、けちと見られる人間の手によってしかなしとげられていない。


・ 気前のよさを売りにしているうちに、いつしかあなたは自由に使える財力をなくしてしまう。で、貧乏になって、人にさげずまれるか、貧困から逃れようとして 強欲になって、人の恨みを買うのが落ちである。とりわけ、君主が厳に戒めなければならないのは、人にさげずまれることと、恨みを買うことだ。


・そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲得には目のないものだと。


・ 人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つけるものである。その理由は、人間はもともと邪なものであるから、ただ恩義で結ばれた愛情 などは、自分の利害のからむ機会がやってくれば、たちまち絶ち切ってしまう。ところが、恐れている人については、処刑の恐怖がつきまとうから、あなたは見 放されることがない。


・君主に謁見し、そのことばに聞きいる人々のまえでは、君主はどこまでも慈悲ぶかく、信義に厚く、裏表なく、人情味にあふれ、宗教心のあつい人物と思われるように心を配らなくてはいけない。なかでも、最後の気質を身にそなえていると思わせるのが何よりも肝心である。

LAVFilters

Releases · Nevcairiel/LAVFilters · GitHub

LAV Filters Nightly Builds

Index of /lavf/nightly
http://files.1f0.de/lavf/nightly/

StreamingPlayer4

つべの連続再生が鬱陶しい。あなたにオススメが更に鬱陶しいけどもナントカ成らんか。

連続再生に関しては、自動再生をOFF


その他設定に関しては、以下の設定ページから

履歴 - YouTube

  https://www.youtube.com/feed/history

再生履歴

  • すべての再生履歴をクリア
  • 再生履歴を一時停止

 検索履歴

  • すべての検索履歴をクリア
  • 検索履歴を記録しない 

これらにチェキ入れる。

あとは、下のウーアールエルから自分自身にあった設定をしてくださいまし。

つべアカウント設定 - 概要

 https://www.youtube.com/account


動画垂れ流しだと、テレビの二の舞になると思うのピノコ。

まだ、完全には消えんな。
垢で情報を管理してゆのかもしえんね。

オススメとかキライなのさ。

好きなものだけ見させてくれればいいのよさ。

φ(`д´)メモメモ...

JavaでWEBページ取得。file_get_contents的なこと - それマグで!
 http://takuya-1st.hatenablog.jp/entry/2014/07/30/000712

 Web サイトを、Android アプリ(apk ファイル)に変換してくれるソフト「Website 2 APK Builder」 - GIGA!無料通信
 
 http://www.gigafree.org/android/website2apkbuilder/

2015年12月13日日曜日

文革勃発中なのに寝ていてスマンが堪忍。暫し休ませてまうを。ラリホーマ❢❣❣❣❢

もう寝ないとイケナイ。明日が来る。明日にそなえるとするかの。伝説のプレリュードを聴いて暫し休むとしようかの。










空想の世界にシラフで入れるわ。これ。下の上の方のムーブ

モノホンの真の現代音楽ニューエイジ・ミュージック 














 



何故かしら遠い過去に聴いた音楽だけども全部覚えてる。

その時の風景や景色や色や匂いまでも思い出し、ホロホロリ



それにしても音の表現力が凄いな。
コリャ、何処のどなたさんでも敵わんわ。

あの頃は、記憶の中で感じる限り良い時代だった。
だからこそ、不意に現状の社会に幻滅しちゃうのね。
でも、凄い人いっぱいいるからアタチも負けないょ。

涙ホロホロホロリンコロリンコ

それに引き換え、今の音楽の世界は、どうなってるんだ。















不死鳥ラーミア~Teemasong 本家
【ニコニコ動画】ドラゴンクエストIII FC版BGM 修正版


冠位十二階 - Wikipedia

冠位十二階

BYR color wheel.svg この項目ではを扱っています。
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冠位十二階(かんいじゅうにかい)は、日本で604年に制定され、605年から648年まで行なわれた冠位である。日本で初めての冠位・位階であった。朝廷に仕える臣下を12の等級に分け、地位を表す冠を授けるものである。七色十三階冠の施行により廃止された。

概要

日本書紀』によれば、 推古天皇11年12月5日(604年1月11日)に始めて制定された冠位である。大徳小徳大仁小仁大礼小礼大信小信大義小義大智小智の12階の冠位が制定された。冠は(絹織物の一種)でできており、頂を合わせて袋のようにして、その囲りに縁を着けた。元日にはさらに髻華(うず)という髪飾りを着けた[1]。翌12年(605年)1月1日に天皇が冠位を始めて諸臣に授けた[2]。聖徳太子の事績を伝える『上宮聖徳法王帝説』にも同様の記述がある。
隋書』倭国伝は、官に12等があり大徳・小徳・大仁・小仁・大義・小義・大礼・小礼・大智・小智・大信・小信で定員がないと記す。順序が書紀のものと異なり、仁義礼智信という五常の通常の配列に従っている。唐代に書かれた『翰苑』には、『括地志』に曰くとして倭国の十二等の官の第一に麻卑兜吉寐(まひときみ、まひとぎみ、まへつきみ)があり[3]、華言(中国語)で大徳というとある。二は小徳で、三以下は大義、小義と『隋書』と同じ順で続く。『日本書紀』と順序の違いがあるが、冠位十二階が実際に制定・施行されたことを証明するものである。
この時始められた冠位制度は、天皇が臣下のそれぞれに冠(位冠)を授け、冠の色の違いで身分の高下を表すものである。前代の氏姓制度と異なり、氏ではなく個人に対して与えられ、世襲の対象にならない。豪族の身分秩序を再編成し、官僚制度の中に取り込む基礎を作るもので、政治上の意義が大きかった[4]。大化3年(647年)に七色十三階冠が制定され、翌大化4年(648年)4月1日に廃止されたが、その後もいくたびかの改変を経て律令制位階制度となり、遺制は現代まで及ぶ。
冠と結びつかないが同様に人に等級を付ける制度は高句麗新羅百済官位があり、日本の冠位に先行している。同じ時代の官品には似ないが、より以前の代や南北朝時代の思想制度の影響が指摘される。

制定の目的

制定の目的は『日本書紀』等に記されない。よく説かれるのは二つで、一つは家柄にこだわらず貴族ではなくても有能な人間を確保する人材登用のため、もう一つは外交使節の威儀を整えるためである。
氏姓制度の姓(カバネ)と比べたときの冠位の特徴は、姓が氏に対して授けられるのに対し、冠位は個人に授けられる点である[5]。そして姓は世襲されるが、冠位は一身限りで世襲されない[6]。 また、それまでの氏はそれぞれ個別的に天皇への奉仕を誓っており、対等な氏に属する人を組み合わせて上司と部下という職務上の上下関係を結ばせるのは簡単 ではなかった。冠位を媒介にすることで、官僚的な上下関係を納得させやすくする。場合によっては生れが賤しい者を生れが良い者の上に立たせることも可能に なる。冠位は旧来の氏姓の貴賤を否定するものではないが、旧来の豪族を官人に脱皮させる上で大きな役割を果たした。
外交では、高句麗・新羅・百済に類似した官人序列の制度があり、中国にも官品制度があった。こうした諸国との使者の応接に際しては、その使者の地位 の高下や、応接する人の地位が気にかかる。この点官位はわかりやすい指標で、日本に同様のものがあればこれら諸国との交際に便があるだけだなく、日本も劣 らず制度が整った国であるという対外的威容を備えることができる[7]。これら諸国との冠位の対応表を作る試みもあるが、やりとりされる使者の位の違いから、互いの対応はとれていなかったと説く人もいる[8]
外交的動機については、第1回遣隋使を推古天皇8年(600年)に派遣した時の教訓から冠位十二階が編み出されたとする有力な説がある[9]。『日本書紀』にはこの遣使に関する記事がないが、隋の側にはあり、「王は天を兄、日を弟として、日がのぼる前に政務をとる」という倭の制度を聞いて、隋の文帝(楊堅)が道理がないと批判したという。書紀に記載がないのはこの遣使の扱いを屈辱とした書紀の編者がわざと載せなかったためではないかと推測する。そしてこの失敗を繰り返さないため、十二階の冠位を定めてから、その位を帯びた使節として小野妹子を派遣し、礼を学びたいと言わせたのではないかという[10]

冠位の授受と使用

冠位を授ける者

冠位を与える形式的な授与者は天皇である[11]。誰に冠位を授けるかを決める人事権者は、制定時には厩戸皇子と蘇我馬子の二人であったと考えられている。
学説としては、かつて冠位十二階はもっぱら摂政皇太子聖徳太子(厩戸皇子)の業績であるとみなされていたが[12]、後には大臣である蘇我馬子の関与が大きく認められるようになった。学者により厩戸皇子の主導権をどの程度認めるかに違いがあるが、両者の共同とする学者が多い[13]
馬子とその子で大臣を継いだ蝦夷、さらにその子の入鹿の冠位は伝えられない。蘇我蝦夷が、子の入鹿に私的に紫冠を与えて大臣にしたことが、『日本書紀』に記される。古くはこれが最高の冠位である大徳にあたり、蝦夷・入鹿は大徳を勝手に受け渡したのだと解釈されていた。しかし現在では蘇我の大臣は十二階の冠位を授からなかったと考えられている[14]。馬子・蝦夷・入鹿は冠位を与える側であって、与えられる側ではなかった。厩戸皇子等の皇族も同じ意味で冠位の対象ではなかった[15]

冠位を授かる者

姓(カバネ)は氏の構成員全員が身に帯びるが、冠位は直接何かの役職について朝廷に仕えるような個人だけが授かった。判明している数十例からみる限り、十二階の冠位の授与範囲は、畿内とその周辺に限られていたらしい。具体的には、中央の有力豪族と畿内周辺の地方豪族が冠位を授かり、他地域の地方豪族はもらわなかった。朝廷の支配力の限界である[16]
知られる限りの例では、最上位の大徳と小徳はといった高い姓(カバネ)を持つ者で占められている。大仁・小仁では高いカバネと低いカバネがまじっている。大礼以下は地方豪族や下級の伴造が主で、高いカバネのものは少数になる[17]
国博士高向玄理が小徳、仏師の鞍作止利が大仁など、あまり高くない氏の出身者が特別な能力功績により高い冠位を授けられた例がいくつか伝わる。冠位十二階は門閥を打破し実績による人材登用の道を開くものだという説が根強くあるが[18]、昇進は小野妹子が第5階の大礼から第1階の大徳に登ったのが顕著な例で、着実な昇進と呼ぶべき例はあまりない。後の律令制下の位階のような生まれの良さが昇進速度に反映して差が開くのではなく、生まれの貴賤で位が決まり、ほとんどの人がそのまま変わらないような、固定的身分制度であった[19]

着用場面

古墳時代の5世紀から日本の支配層は冠を着用しており、朝鮮半島の影響を強く受けた金属製(多くは金銅)の冠が古墳副葬品として見つかっている。やはり5世紀にあたる『日本書紀』の安康天皇紀と雄略天皇紀に見える[20]押木珠縵もこの型と言われる[21]
十二階制の施行期にも位冠でない冠が使われていたと考えられる。十二階の上にあった蘇我大臣家には紫冠があり、皇族も自己の冠を着用していた。下のほうでは、やはり冠位を持たない地方豪族が自分の冠を持っていたようで、伊勢荒木田氏が代々赤冠を着けていたことが知られる[22]。藤原氏の『家伝』には中臣鎌足(藤原鎌足)が青年のときに良家の子に一斉に錦冠が授けられることになったとあり、これもまた十二階の外の冠と説かれる[23]。しかし蘇我氏の紫冠も含めてこれら史料の信頼性を低く見て、後世の造作とみなする学者も多い[24]
冠位は服装の規定と連動するもので、推古天皇16年8月の唐の使者裴世清の接待や、天皇と臣下の薬猟のときに(推古天皇19年5月5日、20年5月5日)、冠位によって服装と髪飾りを分けたことが『日本書紀』に記されている[25]

冠位と位冠

名称と順序

冠位の名称のうち、徳を除いた五つは儒教の徳目である五常である。五常は仁義礼智信と並べるのが普通だが、冠位十二階は仁礼信義智という見慣れない順序をとっている。これは五行思想の木火土金水に対応したものである[26]。五行の並べ方には二種類あり、そのうちの五行相生は、木は火を生み、火は土を生み、という関係を木火土金水の順で表す。これを対応する徳に置き換えると、仁礼信義智が得られる。冠位十二階は五行相生にもとづくのであろう[27]
徳については五行と別の説明が必要になる。『聖徳太子伝暦』は、徳は仁以下の五つを合わせたものだから最上としたと説き、これが通説である[28]
五行思想は中国の思想的産物ではあるが、仁礼信義智の順序で五常を並べて地位の表示にし、徳をその上に置くという発想については、日本独自のものとする説と、中国の道教の影響とする説が分かれる。伝統的な通説は、冠位十二階を立案した日本人の創案と考えた[29]。ことさら順序を変え、信と礼を上にしたところに十七条憲法の思想、ひいては聖徳太子の思想の反映を見る人もいる[30]。日本創案説の論拠には、中国の文献に徳仁礼信義智の配列が見えないことがあった[31]
しかし1981年に道教研究者の福永光司が、5世紀成立の道教経典『太霄琅書』に徳仁礼信義智の配列がそのままあると指摘して道教の影響を説き、学説状況は変わってきた[32]。別に、隋の簫吉著『五行大義』に、仁礼信義智をこの順で説明し、それらが合わさって徳を全うするという趣旨の文があることから、遣隋使が隋から摂取したとする説もある[33]
官位・官職を12に分ける制度は、高句麗の官位や北周の冕(冠の一種)に先例がある。ただ、基準数として12を用いるのは、十二支十二宮十二星など中国に例が多く、特定の制度の継承でない可能性もある[34]

冠の色の諸説
冠位 五行説 非五行説
濃薄区別 濃薄別なし 徳冠が錦 七色十三階制から 隋書から
 大徳  濃紫
 小徳  薄紫
 大仁  濃青
 小仁  薄青
 大礼  濃赤
 小礼  薄赤
 大信  濃黄
 小信  薄黄
 大義  濃白
 小義  薄白
 大智  濃黒
 小智  薄黒
十二階制の位冠は絁(絹の布の一種)という布でできていて、二つの部分からなる。本体は袋状の帽子で、その周りに数センチか十数センチの縁がつく。 飾りを付けることもある。冠には位によって異なる色が定められたが、『日本書紀』等の諸史料は何が何色に対応するのかを示さない[35]。五行五色説をもっとも有力なものとして様々な推定説が唱えられているが、どれも確証はない[36]
徳を除く冠の色は、一般に五行に対応する五色であろうとされており、それに従えば仁が、礼が、信が、義が、智がとなる[37]。江戸時代の国学者谷川士清は大小を濃淡で分けたが、それは後の制度からの類推である[38]
五行説の難点は、義の白にある。白は古代日本で尊貴な色とされており、後の大宝令701年)では天皇だけの衣色と定められた[39]。大宝令以前の天皇の色については不明だが、七色十三階冠から冠位四十八階までの諸制度で白が冠位の色、つまり皇族臣下の色として使われた形跡がない。大義・小義のような下級の色に使われたか疑問が残る[40]
五行によらず、後代の制度を遡らせたり、隋の制度をあてはめたりして推定する説もある。七色十三階冠は七色の冠を大小に分けるもので、そのうち紫、青、黒の3色が冠位の名に出ている[41]。この3色をとって徳が赤、仁が青、礼信義智が黒とあてはめたり、それに服色の緋(赤)、紺、緑を加えて徳が紫、仁が赤、礼が青、信が紺、義が黒、智が緑と割り当てる説がある。『隋書』礼儀志から服の色の制度をとり、徳仁礼が紫、信が緋、義が緑、縹が智とする説もある[42]
最高位については五行からあてはめることはできない。皇極天皇2年(642年)10月に蘇我蝦夷が私に紫冠を子の入鹿に授けて大臣に擬したとあるのが手がかりになる。蝦夷・入鹿は最高の大徳であったと推定し、が徳の色であろうとする説が江戸時代から長く行なわれていた[43]。しかし大臣が十二階から超然としていたとなると、大徳・小徳を紫冠とする積極的根拠はなくなる[44]。それでも、隋が五品以上の服を紫としたことからの類推で紫を大徳・小徳にあてる説が古くからあり[45]、紫説は上記非五行の諸説にもみるように根強いものがある[46]。紫以外の色では、後の七色十三階冠からの類推で、(模様を織りだした高級な絹の布)とする説がある[47]

諸外国の制度との関係

冠位という用語を使うのは日本だけだが、高句麗新羅百済と中国に先行して類似の制度があった。同時代的には朝鮮の官位に似ており、こちらを主に参考にしたとする説と、主に中国の古典文献を参考に考案したとする説がある[48]
日本に冠位が設置施行された時期に中国にあった官品制度は、官を序列する仕組みであって、人を序列する冠位・位階制度とは原理的に異なる[49]。冠位はの制度を参照して作られたものではない。日本では冠位を爵とも呼んだが、隋・唐の爵は冠位とも官品とも異なり、代の二十等爵が冠位に似た人に与える等級である[50]。冠や服の色で官吏の等級を表す思想はもと中国にはなく、後漢末に魏の武帝(曹操)が布でかぶりものを作り、その色を分けて貴賤を表したのをはじめとする[51]。服色では、南北朝時代に北朝の北魏で定められた五等公服が五色の服色で等級を表したもので、これが品(官品)により色を分ける北周の制度にも引き継がれていたと言われる[52]。等級による分割ではないが、北周では役務別に十二種の冕(冠の一種)を定め、それが五行の色で定められていた[53]
高句麗・百済・新羅の官位は、人に授けて肩書きとする点、授けるときに生まれの貴賤が重視される点で、日本の冠位と似る[54]。『隋書』高麗伝が伝える高句麗の官は十二等あり、冠の違いで等級を示した。この十二等各々の名称は古い官職名が転用されたものだが、日本の冠位十二階とは位の数も冠の違いを伴う点も似ている[55]。新羅の十七等も冠の違いをともなう位であった[56]。『隋書』百済伝が官に十六品があると記す百済の十六等の官位は、日本の冠位と同質で、帯の色を分け、高位の冠に飾りをつけた[57]。百済の十六階のうち十二階の名称は漢語を用いて整然と設計されており、その点で冠位十二と似ている[58]。布製のかぶりものを冠と呼ぶのは百済の風習である[59]。朝鮮三国の官位の成立時期は明らかでないが、日本の冠位より前であることは確かで、使者の往来がある隣国の制度として知られていた。
だが朝鮮重視説をとる場合でも、その朝鮮の制度は古い中国の制度を範として作ったものであるから、冠位十二階は間接的に中国の制度の影響下にある[60]。中国の古典を範にしたとしても、日本人が朝鮮三国の官位の知識を持たずにいたとは考えられない。いずれに重みがかかるにせよ、一つのモデルの単純な模倣ではなく、各種制度を参考に独自の制度を案出したものであろう[61]。 そして、異なる制度になったのは偶然や工夫の結果ではなく、違えることに意味があったと考えられる。古代の東アジアで官吏の服装は、それと一体になる儀式 とともに支配秩序を目で見えるかたちで表す機能を持っており、ある国の制度をそのままに採用することは、その国の支配体制への服属を意味していた。新羅や 百済に対して歴史的な優越を主張し、小中華として振る舞うことを望んだ当時の日本にとって、朝鮮諸国の単純な模倣は絶対に避けねばならず、中国に対しても独自性を持つ制度を求めた。冠位十二階は、中国的な礼秩序を、朝鮮三国とも中国とも異なる方法で示すための制度であったと言える[62]

脚注

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  1. ^ 『日本書紀』巻22、推古天皇11年12月壬申(5日)条。
  2. ^ 『日本書紀』巻22、推古天皇12年正月戊戌(1日)条。
  3. ^ 「まひとぎみ」は原田淑人「冠位の形態から観た飛鳥文化」393頁。「まへつきみ」は黛弘道「冠位十二階考」330頁、同「冠位十二階の実態と源流」359頁。
  4. ^ 井上光貞「冠位十二階とその史的意義」283頁。
  5. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』203頁。宮田俊彦「聖徳太子とその時代」22頁。
  6. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』203頁。
  7. ^ 関晃「推古朝政治の性格」(『大化改新の研究』下27頁・『東北大学日本文化研究所研究報告』第3集43頁)。宮本救「冠位十二階と皇親」42頁。
  8. ^ 武光誠『日本古代国家と律令制』9-17頁。
  9. ^ 井上光貞「冠位十二階とその史的意義」300頁。
  10. ^ 大隅清陽「古代冠位制度の変遷」44頁。吉田孝「律令国家の形成と東アジア世界」260-261頁。
  11. ^ 関晃「推古朝政治の性格」(『大化改新の研究』28頁・『東北大学日本文化研究所研究報告』第3集44頁)。
  12. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』。黛弘道「冠位十二階考」288頁、同「冠位十二階の実態と源流」357-358頁。
  13. ^ 関晃「推古朝政治の性格」(『大化改新の研究』28頁・『東北大学日本文化研究所研究報告』第3集44頁)。
  14. ^ 宮田俊彦「聖徳太子とその時代」22-23頁。黛弘道「冠位十二階考」319-323頁。
  15. ^ 宮田俊彦「聖徳太子とその時代」23頁。井上光貞「冠位十二階とその史的意義」289頁。宮本救「冠位十二階と皇親」31頁。
  16. ^ 黛弘道「冠位十二階考」304-309頁。
  17. ^ 武光誠「冠位十二階の再検討」28頁。
  18. ^ 坂本太郎は冠位は全く勲功によると述べ(『大化改新の研究』203頁)、黛弘道も「冠位制度が皆次第転昇の原則を有する」はずだと論じた(「冠位十二階考」296頁)。
  19. ^ 喜田新六「位階制の変遷について」上4頁。
  20. ^ 『日本書紀』巻第13、安康天皇元年(454年)2月戊辰(1日)条、巻第14、雄略天皇14年(470年)4月甲午(1日)条。
  21. ^ 新編日本古典文学全集『日本書紀』2、134頁頭注。
  22. ^ 黛弘道「冠位十二考」327-329頁。
  23. ^ 増田美子は錦冠が大徳・小徳の冠で、良家の子が小徳を授かったと解釈する
  24. ^ 時野谷滋「薫弘道氏『冠位十二階考』読む」129-130頁。川服武胤「推古朝冠服小考」19-20頁注7。宮本救「冠位十二階と皇親」27頁。
  25. ^ 武光誠「冠位十二階の再検討」17-18頁。
  26. ^ 谷川士清『日本書紀通証』巻第27、臨川書店版第3冊1520頁。河村秀根・益根『書紀集解』巻22、臨川書店版第4冊1273頁。
  27. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』229-230頁。武光誠『日本古代国家と律令制』21頁。福永光司「聖徳太子の冠位十二階」75頁。
  28. ^ 『東大寺図書館蔵文明十六年書写『聖徳太子伝暦』影印と研究』152-153頁に「徳トいふ者、五行を摂ム也」。谷川士清『日本書紀通証』巻27、臨川書店版第3冊1520-1521頁。
  29. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』234-235頁。宮田俊彦「聖徳太子とその時代」21頁。武光誠「冠位十二階の再検討」(『日本古代国家と律令制』21頁)。
  30. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』234-235頁。宮田俊彦「聖徳太子とその時代」21頁。
  31. ^ 宮田俊彦「聖徳太子とその時代」21頁。
  32. ^ 福永光司「聖徳太子の冠位十二階」76-77頁
  33. ^ 若月義小「冠位制の基礎的考察」129-130頁。
  34. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』237-238頁。
  35. ^ 岸哲男「推古朝冠位十二階の「当色」について」58頁。
  36. ^ 岸哲男「推古朝冠位十二階の「当色」について」69頁。虎尾達哉「冠位十二階と大化以降の諸冠位」33頁。吉川真司『飛鳥の都』25頁。
  37. ^ 谷川士清『日本書紀通証』巻27、臨川書店版第3冊1521頁。河村秀根・益根『書紀集解』巻22、臨川書店版第4冊1274頁。増田美子『古代服飾の研究』108-110頁。
  38. ^ 谷川士清『日本書紀通証』巻27、臨川書店版第3冊1521頁。原田淑人(「冠位の形態から観た飛鳥文化」393頁)は大小の区別法は不明とする。
  39. ^ 岸哲男「推古朝冠位十二階の「当色」について」67頁。
  40. ^ 岸哲男「推古朝冠位十二階の「当色」について」62頁。
  41. ^ 『日本書紀』大化3年是歳条。「七色」と書くが、色で冠の名が示されるのは3つだけで、あとの3つは織・縫・錦という織物の生地の名で、残る1つは建武である。
  42. ^ これら諸説については増田美子『古代服飾の研究』105-107頁に紹介がある。
  43. ^ 谷川士清『日本書紀通証』巻27、臨川書店版第3冊1520頁。
  44. ^ 黛 弘道「冠位十二階考」321-323頁。岸哲男「推古朝冠位十二階の「当色」について」62頁。増田美子『古代服飾の研究』111頁。しかし喜田新六は、 蝦夷・入鹿が大徳でないことを認めつつ、「私に授けた」のは最高位の冠と同じ色のはずだという理由で、大徳を紫冠とする(「位階制の変遷について」上 3-4頁。)。
  45. ^ 河村秀根・益根『書紀集解』巻22推古紀、臨川書店版第4冊1274頁。
  46. ^ 吉村武彦『古代王権の展開』126頁に紫と五行の五色が示される。
  47. ^ 増田美子『古代服飾の研究』111頁。
  48. ^ 朝 鮮諸国の官位を継承したとみる人には、曽我部静雄(「位階制度の成立」12頁・通巻309頁)、井上光貞(「冠位十二階とその史的意義」296頁)、黛弘 道(「冠位十二階の実態と源流」367頁)、大庭脩(「隋唐の位階制と日本」334-335頁。)、大隅清陽(「古代官位制度の変遷」)がいる。中国の影 響を重くみるのは武光誠(『日本古代国家と律令制』8-9頁)、武田佐知子(「中国の衣服制と冠位十二階」178-179頁)らである。ただし、本文で後 述するように、この対立はあちらが立てばこちらが立たないというようなものではない。
  49. ^ 宮崎市定「日本の官位令と唐の官品令」218頁。
  50. ^ 宮崎市定「日本の官位令と唐の官品令」225-228頁。
  51. ^ 武田佐知子「中国の衣服制と冠位十二階」152-153頁。
  52. ^ 武田佐知子「中国の衣服制と冠位十二階」168-172頁。
  53. ^ 黛弘道「冠位十二階考」332-333頁。
  54. ^ 大隅清陽「古代官位制度の変遷」44頁。
  55. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』237頁。宮崎市貞「」。井上光貞「冠位十二階とその史的意義」292-293頁。
  56. ^ 井上光貞「冠位十二階とその史的意義」294-295頁。
  57. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』223-225頁。井上光貞「冠位十二階とその史的意義」295-296頁。
  58. ^ 井上光貞「冠位十二階とその史的意義」297頁。
  59. ^ 武田佐知子「中国の衣服制と冠位十二階」153頁。
  60. ^ 曽我部静雄「位階制度の成立」11-12頁(通巻308-309頁)。
  61. ^ 坂本太郎『大化改新の研究』204-205頁。
  62. ^ 廣瀬圭「古代服制の基礎的考察」21頁、39頁、福永光司「聖徳太子の冠位十二階」82頁注4。武田佐知子「古代国家の形成と身分標識」242-244頁。

参考文献

  • 小島憲之西宮一民毛利正守直木孝次郎蔵中進校注・訳『日本書紀』2(新編日本古典文学全集3)、小学館、1996年。
  • 岸哲男「推古朝冠位十二階の「当色」について」、『二松学舎大学東洋学研究所集刊』第13集、1982年度。
  • 喜田新六「位階制の変遷について」上・下、『歴史地理』第85巻第2号・3号、1954年12月・1955年3月。
  • 井上光貞「冠位十二階とその史的意義」、『日本古代国家の研究』、岩波書店、1965年。初出は『日本歴史』第176号、1963年。
  • 坂本太郎『大化改新の研究』、至文堂、1938年。
  • 関晃「推古朝政治の性格」、『大化改新の研究』下(関晃著作集第2巻)、吉川弘文館、1996年。初出は『東北大学日本文化研究所研究報告』第3集、1967年。
  • 曽我部静雄「位階制度の成立」、『芸林』第4巻第2号、1953年。
  • 河村秀根・益根『書紀集解』、臨川書店、1969年。
  • 武田佐知子「中国の衣服制と冠位十二階 五行思想と服色」、『古代国家の形成と衣服制』、吉川弘文館、1984年。初出は『女子美術大学紀要』13号、1983年。
  • 武田佐知子「古代国家の形成と身分標識」、『古代国家の形成と衣服制』、吉川弘文館、1984年。
  • 武光誠「冠位十二階の再検討」、『日本古代国家と律令制』、吉川弘文館、1984年。『日本歴史』第346号(1977年)掲載の同名論文を改稿。
  • 谷川士清著、小島憲之解題、『日本書紀通證』臨川書店、1978年。
  • 時野谷滋「薫弘道氏『冠位十二階考』読む」、『日本上古史研究』第3巻第7号(通巻31号)、1958年7月。
  • 虎尾達哉「冠位十二階と大化以降の諸冠位 増田美子氏の新説をめぐって」、『鹿大史学』40号、1992年。
  • 原田淑人「冠位の形態から観た飛鳥文化の性格」、斎藤忠編『日本考古学論集』2(集落と衣食住)、吉川弘文館、1986年。初出は『聖心女子大学論叢』第13号、1959年。
  • 平田耿二「聖徳太子と冠位十二階」(新人物往来社 編『日本の組織図事典』(新人物往来社、昭和63年(1988年)) ISBN 4404015070
  • 廣瀬圭「古代服制の基礎的考察」、『日本歴史』第359号、1978年1月。
  • 福永光司「聖徳太子の冠位十二階」、『道教と日本文化』、人文書院、1982年。初出は『図書』1981年9月。
  • 増田美子『古代服飾の研究 縄文から奈良時代』、源流社、1995年。
  • 黛弘道「冠位十二階考」、『律令国家成立史の研究』、吉川弘文館(日本史学研究叢書)、1982年。初出は
  • 黛弘道「冠位十二階の実態と源流」、『律令国家成立史の研究』、吉川弘文館(日本史学研究叢書)、1982年。
  • 宮田俊彦「聖徳太子とその時代」、『歴史教育』第2巻第4号、1954年。
  • 宮本救「冠位十二階と皇親」、竹内理三博士還暦記念会『律令国家と貴族社会』、吉川弘文館、1969年所収。
  • 吉川真司『飛鳥の都』(シリーズ日本古代史3)、岩波書店(岩波新書)、2011年。
  • 吉村武彦『古代王権の展開』(集英社版日本の歴史3)、集英社、1991年。
  • 若月義小「冠位制の基礎的考察」、『立命館文学』448・449・450合併号、1982年。

関連項目

外部リンク